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京都新聞社様より取材を受け、朝刊紙面の文化欄に掲載されました(2025.11.27)

2025.12.9

 木村の京都での活動や親交も紹介されています。

 80年代に京都新聞夕刊コラム「現代のことば」に執筆していたこと、河合塾京都校内にあった当塾付属機関「河合文化教育研究所」(※)の所長を務めていたこと、京都大学教授時代から親交があったJT生命誌研究館館長の永田和宏氏へのインタビューからは患者の時間意識や自己意識を考察した木村の著書「時間と自己」が永田氏の愛読書であること、など。

 ※河合文化教育研究所(通称 文教研)は、1984年に学校法人河合塾の付属研究機関として設立されました。
 研究員は、研究会を主宰し構成する河合塾講師と、外部から迎えた、数学基礎論、作家、哲学、精神医学、仏文学史・思想史、東洋史、生物学、教育学、日本近代思想史を専門とする学者、研究者らの主任研究員で構成され、広範な分野の研究活動を行ってきました。各地で様々なシンポジウムや講演会数多く開催し、その記録と、研究会での研究成果を書物にして発行してきました。(河合文化教育研究所のホームページより引用)
 木村は1994年から研究員として、2008年から亡くなるまで所長を務めていた。

 当文庫では、河合文化教育研究所のご厚意により、本研究所で開かれた数多くの講演会の録画データをご覧いただくことができます。

木村敏

ことば

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木村敏

ことば

自己が自己として自らを自覚しうるのは、自己が自己ならざるものに出会ったその時においてでなくてはならない。……自己と自己ならざるものとの両者は、いわば同時に成立する。西田幾多郎の有名な「世界が自覚する時、我々の自己が自覚する。我々の自己が自覚する時、世界が自覚する」は、この点を指している。……自己が自己ならざるものに出会った、まさにその時に、ぱっと火花が飛散るように、自己と自己ならざるものとがなにかから生じる。……個人とは、このなにかが、自己と自己ならざるものとの出会いを機縁にして分れて生じて来たものである。このなにかが個人以前にある。……私はさしあたってこのなにかを、「人と人との間」という言い方で言い表わしておこうと思う。

※注記:太文字は原著では傍点によって示されている
『新編・人と人との間』ちくま学芸文庫、二〇二五年、二八―三〇頁

木村敏

ことば

私たちは自分自身の人生を自分の手で生きていると思っている。しかし実のところは、私たちが自分の人生と思っているものは、だれかによって見られている夢ではないのだろうか。……夜、異郷、祭、狂気、そういった非日常のときどきに、私たちはこの「だれか」をいつも以上に身近に感じとっているはずである。夜半に訪れる今日と明日のあいだ、昨日と今日のあいだ、大晦日の夜の今年と来年のあいだ、去年と今年のあいだ、そういった「時と時とのあいだ」のすきまを、じっと視線をこらして覗きこんでみるといい。そこに見えてくる一つの顔があるだろう。その顔の持主が夢を見はじめたときに、私はこの世に生まれてきたのだろう。そして、その「だれか」が夢から醒めるとき、私の人生はどこかへ消え失せているのだろう。この夢の主は、死という名をもっているのではないのか。

『時間と自己』中公新書、一九八二年、一九一―一九二頁

木村敏

ことば

自己が自己として自らを自覚しうるのは、自己が自己ならざるものに出会ったその時においてでなくてはならない。……自己と自己ならざるものとの両者は、いわば同時に成立する。西田幾多郎の有名な「世界が自覚する時、我々の自己が自覚する。我々の自己が自覚する時、世界が自覚する」は、この点を指している。……自己が自己ならざるものに出会った、まさにその時に、ぱっと火花が飛散るように、自己と自己ならざるものとがなにかから生じる。……個人とは、このなにかが、自己と自己ならざるものとの出会いを機縁にして分れて生じて来たものである。このなにかが個人以前にある。……私はさしあたってこのなにかを、「人と人との間」という言い方で言い表わしておこうと思う。

※注記:太文字は原著では傍点によって示されている
『新編・人と人との間』ちくま学芸文庫、二〇二五年、二八―三〇頁