文庫開設によせて

文庫のアーカイブ機能への期待

大橋良介(哲学者)

この文庫への期待の一つは、アーカイブ機能である。『木村敏著作集』第8巻には「全業績一覧」が載っているが、木村先生が欧文で発表された論文や刊行図書は、ほぼ欠けている。文庫の蔵書は、この全業績一覧の補完資料となるだろう。欧文論文の抜き刷り類は木村先生が保存されていたであろうし、著書類も、Écrits de psychopathologie phénoménologique, 1992やZwischen Mensch und Mensch. Strukturen japanischer Subjektivitaet, 1995などが、挙げられるべきものである。いずれも日本語版の翻訳であるから新しい内容は無いかといえば、そんなことはない。前者では、「自己」の語が英語のセルフやドイツ語のゼルプストでは訳せず、いわんやフランス語の〈ソワ〉とは極端にいえばほとんど何の関係もないことが指摘される。また後者では、「日本的な一元論的な物の考え方を外人に伝えることは、実際にその苦労を味わったものでなければわからない」と述べられる。いずれも外国語での著述であればこその、本質的な視点である。
また当然のことではあるが、著作集の刊行後に出た『臨床哲学講義』(創元社、2012年)は、「全業績一覧」には挙げられていない。この講義集は木村先生自身による木村精神医学への入門書であり、「著作集」の視座を少し訂正するような見解もあるから、木村研究に不可欠である。
 稀覯本もあるだろう。たとえば、木村先生へのハイデッガーの献辞を記した贈呈本が、あるはずだ。これは1969年に私が木村先生と一緒にハイデッガーを訪問したときに、ハイデッガーが木村先生と私に贈与して下さったものだ。
木村精神医学においてハイデッガーの影響は極めて大きいが、それと並んで、否、それ以上に、西田哲学が重大な意味を持っている。かつて木村先生は、「読めば読むほど、私は見ようとしていること、言おうとしていることが先生(西田幾多郎)の鋭い思索にあって、すでにあまりにも的確に表現されていることが、かえって私自身の思索を妨げることにもなった」とさえ、述べた。
木村精神医学をハイデッガー思想や西田哲学、フランスやドイツの現象学、等々との比較において研究する作業も、「〈あいだ〉の図書室」から始まるだろう。文庫のアーカイブ機能は、こういった展開をも期待させる。

木村先生と八事病院の思い出

岡本 進(精神科医)

木村先生との出会いは、私がまだ医者になる前の頃、東京医科歯科大の宮本忠雄先生のところに行ったら、「君は京大出身なのだから、こんなところに来なくても木村さんがいるじゃないか」と言われたのがきっかけだった。木村先生に初めてお目にかかったとき、「フロイトを読んでいます」と言ったら、「フロイトはなんと言っても死の本能だね」とおっしゃったことを覚えている。
 私はやがて八事病院に赴任し、名古屋市立大学に入局することになった。そのうち島弘嗣、鈴木茂、長井真理、生田孝などの面々が次々に八事病院へやってきて、臨床も研究も大いに盛り上がった。『分裂病の精神病理』シリーズに発表された木村先生の症例には、先生が八事病院で診ておられた患者さんが数多く含まれている。読書会も盛んで、ブランケンブルクの『自然な自明性の喪失』を木村先生や島君と一緒に訳したのも八事病院の読書会でのことだった。私はその機縁でブランケンブルクのところへ2年間留学したが、来日したブランケンブルクが木村先生らと私のいる北陸にお見えになって、一緒に片山津温泉に行ったのも良い思い出だ。
読書会では、木村先生はどんな難しい箇所も一切読み飛ばすことなく納得するまで考え、それでもわからないときは「ここはわからない」とはっきりおっしゃった。ごまかしのない方だったと思う。度量も大きく、来たい人は誰でもおおらかに受け容れ、失礼な質問や初歩的な質問にも丁寧に答えてくださった。また、これだけの蔵書をお持ちでありながら、いわゆる「物知り」ではなかったところも木村先生の特徴の一つだと思う。ただ、いったん興味を持たれたテーマには、凄まじい集中力で取り組み、短期間で深いところまで理解されることについては、いつも驚かされた。
木村先生は名古屋時代には、「個別化の原理」よりも「あいだ」の方を強調されていたように思う。その意味で、当文庫に「「あいだ」の図書室」という愛称が与えられたのはまことに相応しい。京都に転出された後、西田幾多郎の「一即多、多即一」や「絶対矛盾的自己同一」にも改めて影響されながら、合奏や渡り鳥にヒントを得て「集団主体」ということを言い出されたのには非常な感銘を受けたが、名古屋時代はその原点だったのだろう。
木村先生のご著作を改めて読み返すと、読む度ごとに新たな発見があることに驚く。音楽をやっておられたためか、書かれるものの「作品」としての完成度も際立っている。今後、ますます評価が高まってくるのだろう。晩年になっても新しい見事な「作品」を次々と生み出された先生だが、まだまだ書き足りなかったこともおありだったろう。この文庫創設をきっかけとして、若い方々がそれを掘り起こし、引き継いでいかれるよう願っている。

臨床と哲学の「あいだ」を生きる

野家啓一(哲学者)

晩年の木村敏先生は、自らの学問的立ち位置を「臨床哲学」と称することを常としていた。それが端的に表明されているのは「精神病理学は経験科学であるから哲学的論議に関与すべきでないというのは、精神医学はこころの治療学であることを断念せよというにひとしい。精神病理学は『臨床哲学』であるという側面なしには成立しえない」(『木村敏著作集』第7巻、118頁)という凛とした一文である。それゆえ木村先生にとって患者と一対一の治療関係を取り結ぶ「臨床」とそこから紡ぎ出される思索の織物、すなわち「哲学」とは表裏一体の営みであり、両者は切り離すことができない。
その木村先生の蔵書約6000冊と貴重な関連資料が「木村敏記念臨床哲学文庫」として一括して収蔵され、広く一般に公開されるという。愛称が「『あいだ』の図書室」というのも、いかにも木村先生に相応しいネーミングである。設立に当たって尽力され、今後の運営を担われる医療法人資生会八事病院の英断に対して、心から感謝の意を表したい。
それというのも、もし蔵書がたとえば大学図書館に寄贈されたならば、「臨床」関係の図書はおそらく理系の医学の書棚に、「哲学」関係の図書はもちろん人文系の書棚に配架され、それらを繋ぐ糸は見えなくなってしまうに違いないからである。木村先生が彫琢された数ある臨床上の鍵概念は、必ずや哲学的な裏打ちをもっており、両者はおのずと協奏曲を奏でている。たとえば「あいだ」は和辻哲郎の倫理学と、「ポスト・フェストゥム」はジョゼフ・ガベルの社会学と、また「ビオス/ゾーエー」の区別はカール・ケレーニイの神話学と、といった具合である。おそらく「『あいだ』の図書室」では、一つの空間に配置されることによって蔵書どうしが共鳴し合い、両者の緊密な相互関係が可視化(見える化)され、木村先生の学問的軌跡を浮き彫りにしてくれるに違いない。
蔵書は収蔵され保存されるだけでは文字通り死蔵であり、次の世代に手渡され活用されてはじめて「文庫」の名に値する。その点この図書室は江湖に開かれることはもちろん、「知の拠点」として各種の情報発信をも目指すという。まことに頼もしい限りである。木村先生は自伝『精神医学から臨床哲学へ』の掉尾を「私が描いた臨床哲学のプロットは、いつの日にか私とは別のだれかの人生と思索によって、もう一度生きなおされるのではないか。(中略)精神医学のパラダイムが、将来だれかの手によって根本的に変換されることを夢見ながら、筆を擱くことにする」と締め括っておられる。この文庫を登攀のホールドにして木村先生の夢を実現する意欲的な後生が現れ出ることを大いに期待したい。

木村敏

ことば

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木村敏

ことば

自己が自己として自らを自覚しうるのは、自己が自己ならざるものに出会ったその時においてでなくてはならない。……自己と自己ならざるものとの両者は、いわば同時に成立する。西田幾多郎の有名な「世界が自覚する時、我々の自己が自覚する。我々の自己が自覚する時、世界が自覚する」は、この点を指している。……自己が自己ならざるものに出会った、まさにその時に、ぱっと火花が飛散るように、自己と自己ならざるものとがなにかから生じる。……個人とは、このなにかが、自己と自己ならざるものとの出会いを機縁にして分れて生じて来たものである。このなにかが個人以前にある。……私はさしあたってこのなにかを、「人と人との間」という言い方で言い表わしておこうと思う。

※注記:太文字は原著では傍点によって示されている
『新編・人と人との間』ちくま学芸文庫、二〇二五年、二八―三〇頁

木村敏

ことば

私たちは自分自身の人生を自分の手で生きていると思っている。しかし実のところは、私たちが自分の人生と思っているものは、だれかによって見られている夢ではないのだろうか。……夜、異郷、祭、狂気、そういった非日常のときどきに、私たちはこの「だれか」をいつも以上に身近に感じとっているはずである。夜半に訪れる今日と明日のあいだ、昨日と今日のあいだ、大晦日の夜の今年と来年のあいだ、去年と今年のあいだ、そういった「時と時とのあいだ」のすきまを、じっと視線をこらして覗きこんでみるといい。そこに見えてくる一つの顔があるだろう。その顔の持主が夢を見はじめたときに、私はこの世に生まれてきたのだろう。そして、その「だれか」が夢から醒めるとき、私の人生はどこかへ消え失せているのだろう。この夢の主は、死という名をもっているのではないのか。

『時間と自己』中公新書、一九八二年、一九一―一九二頁

木村敏

ことば

自己が自己として自らを自覚しうるのは、自己が自己ならざるものに出会ったその時においてでなくてはならない。……自己と自己ならざるものとの両者は、いわば同時に成立する。西田幾多郎の有名な「世界が自覚する時、我々の自己が自覚する。我々の自己が自覚する時、世界が自覚する」は、この点を指している。……自己が自己ならざるものに出会った、まさにその時に、ぱっと火花が飛散るように、自己と自己ならざるものとがなにかから生じる。……個人とは、このなにかが、自己と自己ならざるものとの出会いを機縁にして分れて生じて来たものである。このなにかが個人以前にある。……私はさしあたってこのなにかを、「人と人との間」という言い方で言い表わしておこうと思う。

※注記:太文字は原著では傍点によって示されている
『新編・人と人との間』ちくま学芸文庫、二〇二五年、二八―三〇頁