新着情報

毎日新聞社様より取材を受け(2025.09.03)、朝刊紙面の東海版(2025.10.21)に掲載されました

2025.11.4

 見出しは木村を初めて知るものにとっても、木村の業績の足跡が辿りやすく、文庫の特色についてもつかみやすい記事となっている。

 見出し:
『新地平の道しるべに』
『精神病理学者で「臨床哲学」提唱』
『患者との対話重視 苦しみの根源を見抜く』
『書込み残る蔵書6000冊 記念文庫開設』

 関係者のインタビューから聞き取った記事として、「臨床現場でものを考える精神科医が消えていく中」での木村の業績の意義について(木村の教え子の一人で文庫監修者の清水健信)、また木村のもとで勉強したいと集まる若者を木村も熱心に指導していたことで当時の「名古屋圏の医療水準を高められた」こと(館長で院長の水谷)、そして「父の思索が開かれる場所ができた」ことに本人も喜んでいるだろうこと(木村の息子で文庫監修者の木村元)、などが掲載されている。

Web版
毎日新聞社様より取材 朝刊紙面の東海版

木村敏

ことば

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木村敏

ことば

自己が自己として自らを自覚しうるのは、自己が自己ならざるものに出会ったその時においてでなくてはならない。……自己と自己ならざるものとの両者は、いわば同時に成立する。西田幾多郎の有名な「世界が自覚する時、我々の自己が自覚する。我々の自己が自覚する時、世界が自覚する」は、この点を指している。……自己が自己ならざるものに出会った、まさにその時に、ぱっと火花が飛散るように、自己と自己ならざるものとがなにかから生じる。……個人とは、このなにかが、自己と自己ならざるものとの出会いを機縁にして分れて生じて来たものである。このなにかが個人以前にある。……私はさしあたってこのなにかを、「人と人との間」という言い方で言い表わしておこうと思う。

※注記:太文字は原著では傍点によって示されている
『新編・人と人との間』ちくま学芸文庫、二〇二五年、二八―三〇頁

木村敏

ことば

私たちは自分自身の人生を自分の手で生きていると思っている。しかし実のところは、私たちが自分の人生と思っているものは、だれかによって見られている夢ではないのだろうか。……夜、異郷、祭、狂気、そういった非日常のときどきに、私たちはこの「だれか」をいつも以上に身近に感じとっているはずである。夜半に訪れる今日と明日のあいだ、昨日と今日のあいだ、大晦日の夜の今年と来年のあいだ、去年と今年のあいだ、そういった「時と時とのあいだ」のすきまを、じっと視線をこらして覗きこんでみるといい。そこに見えてくる一つの顔があるだろう。その顔の持主が夢を見はじめたときに、私はこの世に生まれてきたのだろう。そして、その「だれか」が夢から醒めるとき、私の人生はどこかへ消え失せているのだろう。この夢の主は、死という名をもっているのではないのか。

『時間と自己』中公新書、一九八二年、一九一―一九二頁

木村敏

ことば

自己が自己として自らを自覚しうるのは、自己が自己ならざるものに出会ったその時においてでなくてはならない。……自己と自己ならざるものとの両者は、いわば同時に成立する。西田幾多郎の有名な「世界が自覚する時、我々の自己が自覚する。我々の自己が自覚する時、世界が自覚する」は、この点を指している。……自己が自己ならざるものに出会った、まさにその時に、ぱっと火花が飛散るように、自己と自己ならざるものとがなにかから生じる。……個人とは、このなにかが、自己と自己ならざるものとの出会いを機縁にして分れて生じて来たものである。このなにかが個人以前にある。……私はさしあたってこのなにかを、「人と人との間」という言い方で言い表わしておこうと思う。

※注記:太文字は原著では傍点によって示されている
『新編・人と人との間』ちくま学芸文庫、二〇二五年、二八―三〇頁