エッセイ

木村先生と八事病院読書会、その後

生田孝

 木村敏先生が、名古屋市立大学精神科に在籍していたのが1970年11月半ばから86年4月末までの15年半である。私が、名市大に入局したのが82年4月なので、八事病院の読書会に参加したのは後半の4分の1に過ぎない。読書会が始まったのが何時かは定かでないが、木村先生が名市大に着任後ほどなくして始まったと思われる。先生は、名市大でドイツ語文献の読書会を定期的に行っていたが、大学ではドイツ語の初学者や他の分野(例えば、テンカンや児童精神医学など)の方に関心が強い人もいて、精神病理の本格的な論文を皆で読むにはハードルが高かった。しかし、難しいものこそ皆で読みたいという希望もあり、専門的な精神病理の論文は、八事病院の読書会で読むようになっていた。
 そこに八事病院医師のみならず大学や他病院からも精神病理に興味関心のある人たちが毎回10人前後集まって来て、医局の低いテーブルを椅子で車座に囲みながらやっていた。不確かな記憶だが、週1のペースで、午後6時から9時頃まで3部制で、初めに精神病理のドイツ語論文、次にドイツ語の哲学書、最後にフランス語の文献(本や論文)を読んでいた。毎回各1~2名の分担者を前もって決めておいて、担当者が一文ごと訳し、木村先生がそれを訳し直しながら、書かれた内容を議論して、また次に進むのである。
 その心は、先生の自伝(『精神医学から臨床哲学へ』ミネルヴァ書房、2010)によれば(以下も引用は同書)「精神病理学で重要なのは、結論として何が言われているかであるよりも、その結論が導き出される思索の過程である。それを知るためには、著者が書いた一語一語についてその辞書的な意味の背後を「読む」ことによって、その思索に「同行」しなければならない」。こうして「精神医学論文以外に、哲学書ももちろんたくさん読んだ。ハイデガーの『存在と時間』、『現象学の根本問題』、ヘーゲルの『精神現象学』などをじっくり読んだし、フランス語ではドゥルーズの『ベルグソニズム』、デリダの『声と現象』、レヴィナスの『時間と他者』などを、それぞれ全部読み切ったと思う」と記している。
 私が参加する前にハイデガーの『存在と時間』は読み終えており、それを録音したカセットテープが医局の書架の奥に無造作に放り投げ込まれていたが、今はどこにあるのだろうか? この読書会から日本語に訳書として出版されたものには以下のものがある。
・テレンバッハ『メランコリー』(みすず書房、1978)
・ブランケンブルク『自明性の喪失-分裂病の現象学』(みすず書房、1978)
・木村敏編『分裂病の人間学-ドイツ精神病理学アンソロジー』(医学書院、1981)
・テレンバッハ『精神医学治療批判-古代健康訓から現代医療まで』(創造出版、1985)
 当時、大学闘争のあおりを受けて、特に有名大学であればあるほど精神科再建が遅れて「東大、京大、東北大をはじめとする全国の有名大学から、一地方大学に過ぎない名古屋市立大学へ、指導者を求める若い精神科医がどんどん転入するという現象が起こった」。私も遅くやって来た一人であったが、いろいろな人士が集まり、今よりも活発で梁山泊風の趣があった。夏には当時、長野にあった八事病院別荘へ泊まり込んで独仏の論文を読み切るハードな合宿もあったが、私のお目当ては夜に始まる酒宴での耳学問であった。先生もビール1~2杯程度は付き合ってくれたものである。
 拙い私の記憶力で多数の遺漏があるだろうが、この会に比較的長期間にわたり参加していた人を思い出すままに記しておこう(敬称略)。有名な?この会に1回でも参加したいと、たとえば、哲学者の坂部恵や高橋哲哉が来たこともある。私の他に(あいうえお順)、伊藤淳、宇佐美敏、臼井志保子、岡本進、小川豊昭、小山内實、川合一嘉、島弘嗣、鈴木茂、鈴木祐一郎、高橋潔、長井真理、藤田慎三、保科正章、山谷教一などが参加していたが、もう何人かは鬼籍に入っている。
 この会は、木村先生が京都大学へ転出してからは、八事病院では開かれなくなったが、当時、河合塾の河合文化教育研究所(先生は後に所長となる)から支援を受けて名古屋で1泊2日の合宿を年4回、心身論研究会という看板を掲げてほぼ同じメンバーで続けられ、結果的に最後となった2018年6月3日の合宿で先生が倒れるまで開催された。河合塾は京都にもあり嵐山に自宅もあるので、京都開催でも良かったのだが、先生は相当の思い入れがあったのか名古屋開催にこだわっていた。実際、自伝には「名古屋時代は私にとってもっとも充実した時期であった」と書かれている。この名古屋の会から、
・ヴァイツゼッカー『病いと人-医学的人間学入門』(新曜社、2000)
・ヴァイツゼッカー『パトゾフィー』(みすず書房、2010)
などが訳出された。
 私のドイツ語読解力は、この読書会で大きく鍛えられたことは間違いないが、この会の最大の受益者は、失礼を敢えて言えば、先生自身であったのではないだろうか。最良の勉強法は、人に教えることであると言われるが、それを自らに課して予習怠りなく、一番準備して来ていたのは、先生自身に他ならない。本当に頭が下がる思いである。
 名市大時代の先生については別に書いたので、そちらも参照されたい(生田孝:追悼 木村敏先生.臨床精神病理, 43:73-78, 2022)。先生の蔵書が、木村精神病理学を生み出した名古屋の地に戻ることは本当に喜ばしい限りである。

---------------------------------------------------------
※木村敏記念臨床哲学文庫(「あいだ」の図書室)開館記念論集「臨床と哲学のあいだーー木村敏とドイツの現象学・人間学」より転載
https://www.koyoshobo.co.jp/book/b670977.html

Profile

生田孝(いくた たかし)
1949年小樽市生まれ.理学・医学博士.理論物理学研究(阪大,名大)を経て阪大医学部卒業.名市大精神科入局.八事病院(1983~1991)勤務.マールブルク大学(フンボルト財団給費).聖隷浜松病院精神科部長を経て,2025年から楽メンタルクリニック.専門は精神病理学,精神医学史,病跡学.著訳書:『語り・妄想・スキゾフレニア』(金剛出版,2011),ブランケンブルク『目立たぬものの精神病理』(みすず書房,2012)他.

※木村敏記念臨床哲学文庫(「あいだ」の図書室)開館記念論集「臨床と哲学のあいだーー木村敏とドイツの現象学・人間学」より引用

木村敏

ことば

Scroll

木村敏

ことば

自己が自己として自らを自覚しうるのは、自己が自己ならざるものに出会ったその時においてでなくてはならない。……自己と自己ならざるものとの両者は、いわば同時に成立する。西田幾多郎の有名な「世界が自覚する時、我々の自己が自覚する。我々の自己が自覚する時、世界が自覚する」は、この点を指している。……自己が自己ならざるものに出会った、まさにその時に、ぱっと火花が飛散るように、自己と自己ならざるものとがなにかから生じる。……個人とは、このなにかが、自己と自己ならざるものとの出会いを機縁にして分れて生じて来たものである。このなにかが個人以前にある。……私はさしあたってこのなにかを、「人と人との間」という言い方で言い表わしておこうと思う。

※注記:太文字は原著では傍点によって示されている
『新編・人と人との間』ちくま学芸文庫、二〇二五年、二八―三〇頁

木村敏

ことば

私たちは自分自身の人生を自分の手で生きていると思っている。しかし実のところは、私たちが自分の人生と思っているものは、だれかによって見られている夢ではないのだろうか。……夜、異郷、祭、狂気、そういった非日常のときどきに、私たちはこの「だれか」をいつも以上に身近に感じとっているはずである。夜半に訪れる今日と明日のあいだ、昨日と今日のあいだ、大晦日の夜の今年と来年のあいだ、去年と今年のあいだ、そういった「時と時とのあいだ」のすきまを、じっと視線をこらして覗きこんでみるといい。そこに見えてくる一つの顔があるだろう。その顔の持主が夢を見はじめたときに、私はこの世に生まれてきたのだろう。そして、その「だれか」が夢から醒めるとき、私の人生はどこかへ消え失せているのだろう。この夢の主は、死という名をもっているのではないのか。

『時間と自己』中公新書、一九八二年、一九一―一九二頁

木村敏

ことば

自己が自己として自らを自覚しうるのは、自己が自己ならざるものに出会ったその時においてでなくてはならない。……自己と自己ならざるものとの両者は、いわば同時に成立する。西田幾多郎の有名な「世界が自覚する時、我々の自己が自覚する。我々の自己が自覚する時、世界が自覚する」は、この点を指している。……自己が自己ならざるものに出会った、まさにその時に、ぱっと火花が飛散るように、自己と自己ならざるものとがなにかから生じる。……個人とは、このなにかが、自己と自己ならざるものとの出会いを機縁にして分れて生じて来たものである。このなにかが個人以前にある。……私はさしあたってこのなにかを、「人と人との間」という言い方で言い表わしておこうと思う。

※注記:太文字は原著では傍点によって示されている
『新編・人と人との間』ちくま学芸文庫、二〇二五年、二八―三〇頁